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タフらいと誕生物語【第4章】(4)

誕生そして挫折

 そのうち、販売を依頼している会社からの回答内容が変わって来た。私からの強烈な販売のプッシュに対抗するように、要求が、“価格を下げてくれないと売れない”という要求に変わっていったのである。それは、

『誰も長寿命など欲していない、価格が全てであり、価格が高すぎて売りにくい』

という事であった。

 全て自社のカスタム仕様で細々と作っているだけの商品が、大量生産の安物のLEDと価格で対抗できるはずもなく、とてもではないが、これ以上価格を下げる余地など全くなかった。(後でわかったことだが、その代理店は私よりの購入価格の3〜4倍で販売していたのだが)

『また(価格)か!』

 私は悔しかった。

最初の製造を依頼した時に価格を言われ、今回は、営業の第一線にも、全く同じことを言われたのである。川上と川下から同じ事を、時を経て、またもや、このコンセプトと技術が、完全に否定されたのである。

 私は、自問自答を繰り返した。

『本当に、たったこれだけの価格差で、半永久に光るかもしれない電球は、いらないのか?』『本当に、この技術は世の中に必要とされていないのか?』

『本当か。本当か。本当か。。。。』

 私は何度も心の中で繰り返した。繰り返せば繰り返すほど、それは、本当ではないように思えて来た。そして、考えていくうちに、少し違った解釈が浮かんで来た、そしてそれは、今まで、その『価格』という言葉を聞くたびに感じた“違和感”の理由がわかったような気がした。それは、違和感というよりも匂いに近かった。

 それは、私が何度も耳にしてきた、『1円でも高いものはいらない』という言葉の本当の意味は、『1円でも私の取り分が減らされるような商品は、要らない』という意味だったのではないのか。つまり、コスト低減要求の本当の意味は、お客様に届けるためというよりは、自分の利益を最大化したいためなのではないのか、と。

 そう考えると、今までの自分が感じていた違和感がすっと消えるような感覚になっていったのである。

 しかし、それは、経済行為を行う上では、極めて当たり前のことでもあった。そんな当たり前の事すら気がつかず、ひたすら待ち続けた私は、単なる世間知らずのお人好しだった。そして、別の言い方をすると、私は人のふんどしで自分の理想を押し付けようとしている薄っぺらな正義感を持った存在にすぎなかった。