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タフらいと誕生物語【第3章】(1)

冒険への誘い(胎動)

 「ついに実現した」夢の技術の完成を目の当たりにして、私の心は踊った。今まで、誰からも相手にすらしてもらえなかった、夢の技術がついに現実のものになったのだ。

 そして、この技術をどうやって世の中に送り出すかは、100%私の手に委ねられていた。なぜなら、実質的な開発者である北島は、すでに電気とは全く関係のない不動産事業の成功者であり、誰にも拘束されない自由な生活を謳歌していた。その自由な時間こそが、彼の人生の唯一とも言える望みであり、それが少しでも割かれることに対し、極めて消極的だった。

 この世紀の発明も彼にとっては、「あくまでも私へのお手伝い」であり、「彼自身の技術的な興味」で行ったに過ぎず、以後の事業などには、基本的に関心も興味もなかったからである。

 私は、この技術をどういう方向に進ませるか、しばらくの間、悩み続けた。進むべき方法は、いくつか考えられた。

 一つは、当時勤務していた社内にも、LED照明を作っている事業部門はあった。そこに紹介して事業化をお願いする方法である。そしてもう一つは、現在の電子部品営業の海外駐在というポジションを生かして、顧客である現地のLEDメーカーに紹介し、そこで製品化してもらう方法が考えられた。

(一介のサラリーマンであった私は、その時は、自分で商品を作って販売するなどと言う事は、全く現実的な選択肢には入っていなかった。)

 第一の方法について考えた。課題がいくつかあった。まず、第一の課題として、私は、そのLEDを作っている事業部の人間を誰も知らない。こんな人間関係もない状態で、万が一、どこかで繋がって紹介ができたとしても、おそらく技術を根掘り葉掘り聞き出された挙句、商品化検討すらしてくれないような予感がした。社員である以上、社内に紹介した時点で、私の手から完全に離れ、商品化やビジネスに対して、意見具申もできない門外漢になることは明確であった。結果として、この技術が永久に闇の中に葬り去られるような予感がしてならなかったのである。

 私は、苦労して生まれた技術を、簡単に里子に出すような事はしたくはなかった。自分の知らない場所で、ぞんざいに扱われるのは心底嫌だった。そして、商品化を社内に依頼したら最後、私は、この技術を他社に声をかけることはできなくなるのである。