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タフらいと誕生物語【第7章】(1)

救世主と気づき

 挫折を味わいながらも、私は、また本当の意味でくじけてはいなかった。この商品と技術は、必ず世の中のためになると信じていたからである。(生来の性格上の鈍さもあるとは思うが)

 一筋の光明すら見えない真っ暗闇のような状況の中で、可能性を信じて必死に動き回っていた。当然といえば当然である。くじけたら最後、莫大な借金を抱え、愛する家族を路頭に迷わせることになるのである。

 そんな時に、ついに救世主が現れる。それは現在においても常に私の理念を力強く、心からバックアップしてくれる存在である。ちなみに、このビジネスを開始してから、現在に至るまで、幾度となく窮地に立たされると、必ず救世主が現れてくれる。

 そして、その救世主たちは、決して直接的に指導をしてくれるわけではないが、その救済行為を通じて、自分勝手であった世間知らずのサラリーマンを社会的な方向に導いてくれるのである。

 私は当初、自分の人生は、自分で切り開いて、自分で生きていると思っていた。この事業も、自分がここまで引っ張り、自分の力でなんとかできるし、しなくてはならないと思っていた。しかし、何度か窮地に立たされるとその考えは、何か、根本的に勘違っているという事に気付かされた。

 それはこういう事である。

 自分は当然頑張るし、それは生きていく上では必要だろう。しかし、自分が今、存在できているのは、誰かに生かしてもらっているからであり、自分で生きているわけではないのである。この事が、しっかりと自分の肝に入った事によって、社会への恩返しを当然の義務として考えることが出来たのである。

 実は、私は、サラリーマン時代に、毎朝、『感謝報恩の精神』と声に出して諳んじていた。言葉ではわかっていた。しかし、本当の意味がようやくわかってきたのは、自ら起業し、家族共々路頭に迷うかもしれないという絶体絶命の危機、借金の為に、自らの命すら断たなければいけないと思いを巡らせた日々を通じ、今、信念としてようやく自分の血として持つことができている。